【海外での生活体験~ベトナム編~】何事も決めたがらない!?責任回避主義について

ベトナム

私はただいまベトナムに滞在しており、仕事を通してベトナムの文化や人々と触れております。日々過ごす中で、私が個人的に驚いたこと、面白いと思ったことを共有できればと思います。他国の文化・様子を知ることで、自身の生活にその考えを取り入れ日常が少し豊かになったり、改めて日本の良さを知ったりするきっかけになると思いますので、ぜひ読んでみてください!

ベトナムで仕事をしていると、物事がなかなか進まないということが多々あります。これは会社、役所手続きなど至る所で目にします。根底にあるのは責任を取りたくない、というところがあると思います。このようなベトナムの実態についてお話できればと思います。

ベトナム人が嫌がる行為

ベトナムで仕事をしていると、いくつかベトナム人が嫌がる行為があることに気づきました。それらは以下の通りです。

  1. 署名することを嫌う
    特に役所などでは顕著ですが、役所の担当者は自身では判断できないとして上司に確認し、その上司はさらにその上司に確認し、挙句の果てに別の役所窓口にたらい回しされることがあります。これらは特に法律の解釈が曖昧であったり、入り込んでいる事案であったり、自身の管轄かどうか定かではない場合に発生している印象です。また民間企業の場合でも、対外的な書類に署名するのは社長、役員、○○長となります。

  2. 結論を他の人に伝える役目を嫌う
    社内で決定した事項を、社外の取引先に伝える役目を嫌う方が一定数いると思います。これは実際に起きた事例ですが、相手企業からあるお願いをされ、社内で検討した上で、拒否することが決定しました。その通知をしておいて、と部下にお願いしたところ、数日経っても相手へ連絡していませんでした。なぜまだ対応していないのか聞いたところ、相手企業の担当者には直接電話で説明したものの、メールでの連絡は可能であれば自分からしたくないと言われました。結局、私が相手企業にお断りのメールをすることにしました。このように、特に相手が嫌がる可能性のある内容を通知する場合、消極的になる人が多いと感じます。

  3. 自主性を嫌う
    社内の申請でよく見かける文言として、「社長に依頼されたため○○を提案します」、「○○上司の指示に基づき提案します」というものを度々目にします。申請の背景になっていないものの、これを書くことであなたとコンセンサス取れていますよ、上からの指示ですよ、ということを明確にしております。また、指示待ちの人も多くいます。彼らは具体的に何をすればいいか上司に指示してほしいと思っており、自主的には動きません。自由にアイディアややるべきことを考えてと言うと困ってしまいます。一方、指示をするときっちり言われたことをやってくれるのです。

このように、傾向として物事を判断したり、決定したりする責任を負いたくない、責任を負っているように見られたくないと思う人が多いように感じます。その結果、簡単そうな物事でも思うように進まず、ビジネスの弊害になっていると感じることも多々あります。さて、なぜこのような「責任回避主義」がベトナムにはあるのでしょうか。

背景

以下の通り、いくつか背景が考えられます。

  1. 罰金・逮捕の恐れ(役所の場合)
    公務員であり、現在のベトナムの国策として「聖域なき汚職撲滅運動」が行われております。首相であったとしても、もし汚職が見つかった場合は逮捕される可能性があります。そのような状況下、公務員が勝手に自身の解釈で判断し、それが間違っていたと判明した場合は責任を取らされる可能性があります。罰金であったり、場合によっては逮捕もありえます。少しでも不安がある場合は上司に責任を転嫁し、上司も判断が難しいと思った場合はその上司や他の管轄部署に持ち込むよう依頼し、責任がどんどん転嫁されます。

  2. 企業法の関係(民間企業の場合)
    そもそもベトナムの企業法として、企業の署名権限者はその会社の代表者、すなわち社長のみが持っていることになります。そしてその社長が権限を委譲することで社長以下でも対外的な契約などに署名することができます。すなわち、法律上社長が全責任を取るべきであり、社員は自然と社長や○○長の判断を仰ぐようになっていきます。

  3. 社会主義の影響
    全体で足並みを揃えることが良しとされる社会主義の中で、でしゃばって自身の考えを積極的に発言していくことはあまり良しとされないように感じます。実際、会議の前にある程度根回しがされていたり、会議で上の立場の人の発言に対して反論しないことがほとんどです。結果、上の立場の人からの指示を待ち、その通り仕事を進めることが美徳とされ、指示待ちの人が多くなりがちです。

  4. 自身の評価
    自主的に発言・提案した際に、上司が考えているものと違った場合、自身の評価が下がると考えている人が多くいます。同時に、分からないことを上司に質問するのも、自身で解決できないと思われ評価が下がると考える人が多いです。評価はその人の賞与や昇給に影響するため、自主性を発揮した結果低評価をつけられるリスクを恐れ、上司からの指示待ちになりがちです。

  5. 儒教の教え(教育)
    ベトナムでは儒教の教えが根付いており、年長者が敬われます。さらに、親や先生の教えは大切なものとして子供は育てられます。ベトナムの学校では先生が生徒に勉強内容を指示し、生徒は言われたことをきっちり勉強することが求められます。家庭でも同じで、親があなたは将来こうしなさい、このような勉強をしてこのような会社に就職しなさいという人が多くいる模様です(最近の若者は変わりつつあるようですが)。そのような背景もあり、指示待ちになれている人が多い印象です。

個人的に思うこと

上司からの指示待ち人間になってしまうと、その人の個性がクリエイティブな発想が生まれにくく、またその人の成長も限定的になってしまうと思います。さらに付け加えると、正解が存在する世界(決まったものを決まった工程で製造するなど)では通用するものの、社会が日々大きく変わる現在にはおいては適していない、むしろ危険な状態であると言えます。より自分らしさを発揮するためには自分の行動・判断に対して責任を持つことが必要なのではと感じます。一方で、複数の背景がありベトナム人は責任回避主義が強い一面もあると感じました。ベトナム人にもぜひ自主性を発揮し、自分の思うように行動しその結果を自身の責任として受け止めてほしいと思いますが、すぐには変わらないのだろうと思います。

最後に

責任は上司が取るもの、という観点では日本でも同じような考え方が根付いていると思います。上司は権限が多く、給料も高い分、責任も大きいため何か問題が起これば上司が責任取るのは当たり前と思っている方も少なくないと思います。同時に、日本の教育スタイルとしてはベトナムと似ており、先生が考える正解は一つであり、それを正しく導くことが求められます。日本人でも気を付けなければついつい責任を回避していることがあると思います。ベトナム同様、日本でも社会の構造上ある程度は責任回避主義な面があるのはしょうがないと思いつつも、自身の成長を促し、変わりゆく環境に適用するためには自主性を発揮し、自身の行動に責任を持つべきなのかもしれません。個人的にはその方が自由であり、人生がより面白くなると思います。

自分の人生は、自分で決めろ。他人に足を踏み込ませてはいけない。

アルフレッド・アドラー 心理学者

では、また。ゆとりのある日々を。

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