私は幼少期の約10年間をアメリカで過ごしました。その時の経験を踏まえ、私なりに感じたアメリカ文化について共有できればと思います。他の国の文化を知ることで、自身の生活にその考えを取り入れたり、改めて日本の文化の良さを知ることができると思いますので、ぜひ読んでみてください!
少し文章が長くなってしまったので、前編・後編と分けさせて頂きました。前半では子供の能力別に国語・算数の授業が分けられていること、そしてアメリカの学校制度について触れました。まだ読まれていない方はこちらのリンクからどうぞ!
では、ここから後編です!どうぞ!
厳選されたクラス分け
さて、アメリカの公立学校について話を戻します。実は授業だけではなく、そもそものクラス分け自体もかなり厳選されております。おそらく前学年の先生が協議し、次年度のクラス分けが行われていると思います。そして、その学年で優秀な先生のところに優秀な生徒を振り分けられております(先生にとってもかなりシビアだと感じますが、、)。4つのクラスの内、2つのクラスに比較的優秀な子を集め、残りの2つのクラスにそれ以外の子供を集められていたと推測されます(2つのクラスはペアになり、よく教室を開放して1つの教室にし、国語・算数以外の授業は一緒に勉強することが多々ありました)。そのため、その他科目についてもクラスによって異なる授業スピードで進むこともあります。
当時は学校が終わったらあまり授業の内容について友達と話すことはなく、そもそも同じクラスの子たちと自然と仲良くなっていたため、このような仕組みに気づいておりませんでした。私の兄弟が同じ公立学校に通っていたにも関わらず、クラスによって全く違う授業環境だったことを兄弟で比較して初めて親が気づいたそうです。私の場合は、おそらく他の子と比べて算数ができたため、2年生以降は優秀な方のクラスに配属してもらうことができました。
小学校高学年に入るタイミングでも今まで同様に、クラス分けが実施されていました。学校が変わるものの、小学校低学年の成績・評価がついてきたのだと推測できます。そして私の6年生のクラスは特殊であり、なんと6年生にしながら半年で6年生の算数を終わらせ、残り半年で7年生の算数を勉強するといった内容でした(ちなみに、小学校で個別に呼び出された人の内、3人はここでも同じクラスでした)。そして、年度の最後には、算数のクラス全員に7年生の数学の授業を飛び級するためのテストを受けさせると先生が公言しました。25人のクラスで、なんと8人が7年生の数学の授業を飛び級することになりました(私含めアジア人が3名、インド人が3名、白人が2名)。その後は7年生にいながら数学の授業だけ8年生の教室に行き授業を受け、そして8年生の時にはわざわざハイスクールまで通い、高校生と授業を受けてから中学に戻るという学校生活を送っていました。
教育制度の背景
このように公立学校にも関わらず、小学校から常に気づかないところで競争にさらされていることが分かります。実は、このような学校の構造は特に隠しているわけではありませんが、公言もされていません。そもそも飛び級のためのテストがあることを知っている人は現地の方含めても一握りしかいないと思います。優秀な人にはより良い勉強環境を、平均的なレベルなら平均的な環境を。よく言えばそれぞれのレベルに合った教育が提供されており、悪く言えば意識せずとも常に競争にさらされることになります。
さて、何故このような制度になっているかと考えたところ、最も大きい点は州・市の方針が影響していると言えます。私の州では、毎年1年に1度、子供の学力テストが実施されます。そのテスト結果を受け、おそらくその地域への恩恵が変わってくるのではと推測できます。また、その結果も公表されるため、より学力の高い地域は人が集まりやすく、住む人が増え税収も上がります。そして高校から優秀な大学に入学する生徒が増えれば、それも一つのステータスになると思います。おそらくこのような経済的な背景が教育制度にもあると考えます。
※但し、先生は生徒を商品のように見ているというつもりはありません。学校の先生方は優秀な人もいればそうではない人も多いですが、ほとんどが地元愛が高く、その地域に長く住んでいる人が多い印象です。
最後に:
アメリカの公共学校は良くも悪くも各人のレベルに応じた教育を提供しています。幼いころから常に競争にさらされるという厳しさはあるものの、各人の“良さ”や“優れている点”を見つけやすい環境だとも言えます。自身の優れている点を伸ばす環境が用意されており、その中で一定の評価を得ることができればステージが上がり、また別の景色が見えます。
一方で、勉強が遅い人は幼いころからそのレッテルを張られ、その後の教育はスピードが緩い授業になってしまいます。そうなると、授業は理解できるため落ちこぼれるという感覚や劣等感を抱きにくいものの、その心地いい環境に慣れてしまい気が付かない間に優秀なグループと学力の差ができてしまいます。本人は劣等感を抱かないため幸せかもしれませんが、大人になり社会に出たときに本当に幸せかはわかりません。
気が付かない内にレッテルを張られ、落ちこぼれる可能性があるアメリカ教育の闇。あなたは日本の教育制度と比べてどう感じますか?どのような環境に自身、もしくは子供に経験させて上げたいと思いますか?
教育こそが未来へのパスポートだ。明日という日は、今日準備をする人たちのものである
Education is our passport to the future, for tomorrow belongs to the people who prepare for it today
マルコム・X アメリカ黒人解放運動家
少しでも考えるきっかけになればと思います。
では、また。ゆとりのある日々を。
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