【指導で悩んでいるあなたへ】教える立場の人こそゆとりを!

子供教育

上手だねー、きれいにこのお花の絵を描けてるね!

先日、自身が良く通っているカフェでお茶しているときに隣の親子から会話が聞こえてきました。5歳くらいの女の子とそのお母さんが隣でタブレットでお絵かきをしていて、微笑ましいなと思いながら彼女たちの会話に少し耳を傾けていました。

微笑ましいな~。しかし今の時代は紙とクレヨンじゃなくて、タブレットなんだ!時代も変わったな~

と、ぼーっと思いに更けていると、少し会話のトーンが変わってきました。

”ここはこう塗らないとだめでしょ、色が混ざるからちゃんとやらないと”

”せっかくきれいに書いた絵が台無しになるよ、この花はこの色でしょ”

これを聞いて2つの疑問が思い浮かび上がりました。

  1. できたら褒める、できないなら正す/叱るが、それはあくまでそのお母さんが考える“正解”に沿っているか否か、ということ
  2. そもそも芸術に“正解”などないのでは、ということ

1. お母さんの考える”正解”

お母さんがどのような思いで指摘したのか分かりませんが、きっと見本や常識的に色が違っていたのでしょう(例えばひまわり=黄色)。最初に子供を褒めたときはお母さんの想像通りできていたから褒められ、次に注意されたときは期待にそぐわなかったのでしょう。

ただ、この教育方法は“正解”しか出せない人間を育成しているのでは、と感じてしまいます。ある意味、これは正しい考え方かもしれません。学校に入ると求められる優秀な生徒像があり、先生が求める答えを出した人が優秀となる。

でも逆に、それはその子の自由な発想を奪っているとも捉えられるのではないでしょうか。果たして成長した子供は、大人になって0から1を生み出すクリエイティブな発想ができるのでしょうか。

社会に出ると、“正解”がある問いはほとんどありません。また、時代は大きく変わっており、過去の“正解”はもはやあてになりません。なのに、子供が家庭や学校で“正解”通りに動く教育を受けている。この矛盾に疑問を感じずにはいられません。

2. そもそも芸術に“正解”などないのでは

また、芸術に“正解”などあるのでしょうか。

子供が青く塗ったひまわりは、芸術的に“間違い”なのかな?

正直、自身では全く理解できない絵などをたくさん見てきました(ピカソなどが代表的でしょう)。

絵を見る人がどのように解釈するのか、それこそがアートの醍醐味でもあるといえます。

たかが子供の絵でおおげさな、、と思われるかもしれませんが、アートは既存の考え方を打ち破る力があると思います。子供は好奇心旺盛で、かつ自由な発想があるため(時に全く理解できないかもしれませんが)、むしろ親の固定概念を打ち破る力があるのではないでしょうか。

教える立場の人こそゆとりを

子供の自由な発想を奪うのが教育者の役目ではなく、その子の可能性を広げることを考えるべきではないでしょうか。先ほどのお絵かきも、色の話ではなく、塗り方の手法を教えることができたかもしれません。例えば;

  • 色の混ぜ方
  • 重ね塗りのやり方
  • はみ出さない色の塗り方

そもそもその子がなぜひまわりを青に塗ったのか、聞いてみると想定していない答えが返ってくるかもしれません(このひまわりは弱っていたから”青い”んだよ、など)。子供に自由を与えるために、まずは教える立場の人間が答えを焦るのではなく、ゆとりをもつことが大切なのではないでしょうか。

その結果、子供が描いた絵に自然と興味が沸き、自身にとっても新しい発見を与えてくれるかもしれません。

では、また。ゆとりのある日々を。

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