【余白が広がる出会い】死に際を想像し人生観を見直す!? – フランシス・コッポラ監督「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPARTⅡ」

余白

日々のやらなければいけないことに追われたり、いつの間にか固定観念が出来上がり視野が狭くなったり、自身の“当たり前”が形成されていたり。日々生活する中で、我々は意識しようとしまいとこのようなことが起きていると思います。それらを認識し必要に応じて見直すためにも、時折自身の考えを客観的に見たり、今までとは異なる考え方に触れ視野を広げることが大切だと感じます。その結果、自身の許容が広がり(すなわち余白が広がり)、心が広くなると言えます。今までは許せなかったことを許せるようになったり、ちょっとしたことで怒らなくなる・イライラしなくなると思います。

ここでは私が過去出会った人、本、映画、体験などで余白が広がった経験を共有できればと思います。今回私が紹介するのはフランシス・コッポラ監督「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPARTⅡ」という映画についてです。

あらすじ

「ゴッドファーザー」1972年公開。

舞台は1945年のニューヨークです。コルレオーネ・ファミリーのドン(首領)であるヴィトー・コルレオーネは、イタリア系移民社会で絶大な影響力を誇っており、ドンのもとには様々な依頼が持ち込まれ、彼は「友情」と引き換えにそれを受け入れます。やがて麻薬ビジネスへの参入を巡り、対立するファミリーと抗争が勃発しました。ドンは暗殺未遂に遭い、瀕死の重傷を負いました。彼の末息子マイケル・コルレオーネは当初、家業に関わることを拒んでいたが、父を狙った敵に報復するため裏社会に足を踏み入れることになります。マイケルは敵のボスたちを次々に暗殺し、最終的には病身の父からファミリーの後継者に指名されます。父の死後、マイケルは冷徹な手腕で裏切り者たちを一掃し、正式に「ゴッドファーザー」として君臨する物語となります。

「ゴッドファーザー PART Ⅱ」1974年公開。

本作は2つの時系列が交錯しながら、1代目のドンであるヴィトー、2代目のマイケルの対比を描きます。

1. マイケルの現在(1950年代)
マイケルはファミリーを合法的なビジネスへ移行させようと試みるも、内部の裏切りや政界との癒着、キューバ革命などによって計画は難航します。やがて、実の兄の裏切りが発覚し、マイケルは苦悩しながらも、兄でさえ殺すという冷酷な決断を下します。

2. 若きヴィトーの過去(1900年代初頭)
ヴィトー・コルレオーネ(後の1代目ドン)は、幼いころ両親を殺され、単身アメリカに移民します。青年期、彼は貧困の中で生き抜き、やがて周囲の人々を助けながら裏社会で影響力を拡大し、ファミリーを築いていく姿が描かれます。

余白が広がる瞬間

これら2つの映画を通して、それぞれの主人公の生きざまや価値観がどのように彼らの死に際につながるか描かれており、その対比が印象的でした。

<主人公の対比>

ゴッドファーザー
1代目ヴィトー・コルレオーネ
ゴッドファーザーPART Ⅱ
2代目マイケル・コルレオーネ
家族を心から愛し、常に家族のために行動する。家族の絆を最優先にする。家族が大切であり守ろうとするが、結果的に家族を遠ざけることになる。
信頼・愛・友情が大切力・結果が大切
相手のことを深く理解しようとする。なぜそうなったのか理解を示し、人の過ちを許せる。目的のためなら手段を選ばず、冷酷で容赦ない。人の過ちは許さない。
慈悲深く人望を集める。恩義や絆を重視し、仲間に信頼される存在。恐怖と絶対的な支配によって周りを従わせる。信頼よりも力を重視する。
地域社会に貢献し、庶民からも尊敬される存在。社会と断絶。
無意味な殺しはしない、話し合いで解決できるな話し合う。裏切り者・敵は全て殺す。行き過ぎた徹底ぶり。
周りには家族がいて、親しい友人もいて、いつもにぎやか。自分の周りから徐々に人がいなくなり、孤独へ。
死に際:大好きな家族や多くの友人に囲まれて最後を迎える。死に際:一人で、裏切りや復習に怯えながら最後を迎える。

主人公が大切としている価値観、それに基づいた行動や人との接し方を通して、最終的に彼らが人生の最後を迎える瞬間、全く異なる状況であったことが分かります。

私はこれら映画を見た際に、自分の死に際について真剣に考えました。死に際については、スティーブン・コヴィー作「7つの習慣」にも記載があります。

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<一部内容の要約>

我々人間は皆最終的には死に向かいます。すなわち、その人が死ぬときに人生の価値が図れると言えます。そこで、自身の葬儀を想像してみてください。あなたはどのような人たちに参列してもらい、あなたを思い出してもらう時にどのような言葉を参列者に発してほしいと思いますか。これらを考えることで、自身の人生の方向性が見える、といった内容です。

ゴッドファーザーの映画は、人の生き様がどのように死に際で現れるか分かりやすく表現しております。そして、主人公を比較すると、私個人としてはヴィトーのように、愛する家族や友人の多くに囲まれながら最後を迎えたいと思いました。すなわち、私の人生観として、周囲に対して慈悲深くあり、愛や信頼で動き、力を守るために使うことが大切であると感じました。

さて、ゴッドファーザーではギャングや殺人という過激なテーマでしたが、我々の日常に置き換えた場合ではいかがでしょうか。例えば仕事の成功(出世・名誉)を優先して家族との時間を作らなかったり、同僚を蹴落としたりすることがあるかもしれません。例えば出張や会食、残業などを優先して家族との時間を疎かにしていると、自分では家族を養うために頑張って稼いでいると思っていても、家族との心理的距離が離れ、結果的に孤独になっていくかもしれません。もしくは自分と家族がより幸せになれるように、仕事やプライベートで自分にとって有利な選択をし続け、その便益は周囲には分け与えないことも考えられます。例えば、有益な情報を友達や周囲の人間に聞く割に、自分からはそのような情報を提供しないことがあるかもしれません。最初は自分が得して自分と家族は豊かになるかもしれませんが、徐々に友達は離れていき、社会的なつながりが失われていきます。

このように、私の場合は人生を通して大切な家族やかけがえのない友人と過ごし、死ぬときにはそのような人たちに囲まれて死にたいという想いがあるからこそ、その方向に進むべく日々の生活や価値観を改めより愛をもって周囲に接し、信頼を大切にしようと思いました。これは私の場合であって、読者の皆さんの中には周りがどう思うが関係ないが、とにかく歴史に名を刻みたい、お金持ちになりたい、こういう想いがある人もいると思います。それはそれで良いと思います。大切なのは、人生を通して自分どうありたいか・何を成し遂げたい、それらを自分なりに考え、その実現に向けて日々の行動を意識して過ごすことです。

最後に

今回はフランシス・コッポラ監督「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザー PART Ⅱ」という映画について紹介させて頂きました。ぜひ興味がある方は見て頂ければと思います。

主人公の生き様・死に際を見ながら、自分はどのような人生観があるのか見つめ直すきっかけになればと思います。あなたの葬儀には誰が参加しており、どのような思い出話が出るのか。この問いを意識しながら、今日あなたはどう過ごすべきか、どう振舞うべきか、考えて頂ければと思います。

私は死んだあとでも生き続けたい

アンネ・フランク アンネの日記の著者、ユダヤ系ドイツ人、ホロコースト犠牲者

では、また。ゆとりのある日々を。

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